コーヒーと麻婆豆腐

25歳の僕は会社を辞めてコーヒーと麻婆豆腐を貪る旅に出た

沖縄の「御嶽」とそこから見えた人のあり方

そろそろ、沖縄を出ようと思う。
突然だが、皆さんは「御嶽」というものをご存知だろうか。

沖縄では神を祀る聖所として、各地域共同体に1つ以上の御嶽が存在している。

今回はそんな御嶽をひとりで歩いていた時に感じた
人間のあり方について考えてみた。

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Photo by Benjamin Voros on Unsplash

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<代表的な御嶽>

安須森御嶽(あすむぃうたき):国頭村辺土
クボウ御嶽:今帰仁村今帰仁城
斎場御嶽(せーふぁうたき):南城市知念
薮薩御嶽(やぶさつうたき):南城市玉城
雨つづ天つぎ御嶽(あまつづてんつぎうたき):南城市玉城、玉城城内
クボー御嶽(くぼーうたき):南城市知念(久高島)
首里真玉森御嶽(しゅいまだむいうたき):首里城内 

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このうちいくつかの御嶽に僕も滞在中訪れた。
どの場所も青々とした緑に囲まれ、自然の力を強く感じるような場所だった。

ただ、筆者自身こういう場所に頻繁にいっているわけではないので
いきなり神の加護を感じられるわけも、もちろんなかったのだが。

それでもこの場所はたくさんの人に大切にされ、
守られてきたんだなという雰囲気があった。

大切に育てられた人を見ると、
この人は大事に育てられたんだなとわかる瞬間があると思う。

それに近しい感覚がそこにはあった。

歩いていて、ふと後ろを振り返った時、
列を成して祈りのために歩いていく人の姿が見えた気がした。

人々は厳かな顔をしているが、今と変わらぬ人間。

久々に旧友と顔を合わせ、小突き合いくだらないことで
クスクスと笑う男たち。

くだらないかもしれないがそういう繋がりが、
瞬間が人間には大切なのではないか。

どうあがいても人間には命というタイムリミットがある。

これは皆平等であり、変えられないもの。
※もちろん今のところの話だ

その中でできることなんて正直限られているし
社会を変えることなんてそう簡単にはできないだろう。

みんながみんな社会を変えるようなことをしたら
未曾有の事態が発生するはず。

だからこそ、どう生きるべきなのか。

気がついたら「君は」、「僕は」死んでいる。

そういう状況下で何に時間を使っていくべきなのか。
筆者は「使命」を持ちそれに夢中になることなのではないかと思っている。

この「使命」というものには2つ条件があって、
普遍性(がありそうなもの)と構成員の平等性を持ち合わせてなくてはならない。

なぜと言われると実は筆者自身も未だ明確な答えが出せていないのだが、
こればかりは直感の論理とさせてもらいたい。
※旅の中で答えが出せたらと考えている

ただ、思うのだ。

自分が死ぬ間際を強烈にイメージした時、
どんな富も権力も無意味に感じてしまうのではと。

欲しいのは「何かを残した」という感覚。
もちろん残すのは最高に愛した家族(後継)だっていい。

筆者は「使命」を全うし、死にたい。
少し硬い言葉だが今はこれしか表現が思い当たらない。

だから自分自身にとっての「使命」をこの旅で探し続けたい。

少々お酒が入っている、眠ろう。

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Photo by Larisa Birta on Unsplash

終わり

 

2019/04/07 @沖縄県北部