麻婆豆腐を僕は知っている。
その単語とリンクするイメージを。
ただ、それを誰が作ったのか、どこで作られたのか。
どうしてその名が付けられているのかを知らなかった。
美味しいというだけでも問題はない。
でも僕は知りたい。
挑発的なその刺激で僕らを血湧き肉躍らせるこの食物のルーツを。
というわけで、今回は麻婆豆腐の歴史を調べようと思います。
麻婆豆腐の歴史
麻婆豆腐とは
麻婆豆腐とは、唐辛子の辛さである「辣味」(ラーウェイ)と、
花椒の痺れるような辛さである「麻味」(マーウェイ)を特徴としており豆板醤、唐辛子、ネギや挽肉を炒め、そこに中華スープを加えて豆腐を煮た四川料理のことをいう。
筆者が前職で食べていた麻婆豆腐はマーウェイが尋常ではない量入っており、食べると味がイマイチわからなくなるほど痺れたのを覚えている。
当たり前だが、辛さに関しては店によって様々で
唐辛子の影響が強いか、山椒の影響が強いかによって特徴を作っているようだ。
また、水っぽいかとろみが強いかという点でも差があり
とろみが強い場合は片栗粉を使用しているらしい。
個人的にはとろみの強い麻婆豆腐の方が食材と絡み合うので好きだ。
中国四川省では、花椒は粒で入れるほか、
仕上げにも粉にひいたものを表面が黒くなるほど大量に振りかけるとのことなのでおそらく本場では悶えるほどの痺れを感じることが出来そう。
本当にそう言われればなのだが、この間道で話した中国人が日本には辛いものが少ないと言っていた。その手にはカップの北極ラーメン(ラーメン中本)が握られていたのに...。
日本では辛みを抑えるためか、材料の入手難からか、花椒を抜いているようなので本場の麻婆豆腐と出会うのはなかなか難しそうだ。
だからこそたくさんリサーチして見つけ出したい。
わざわざ麻婆豆腐を食べるために毎回中国四川には行ってられないんだから。
ちなみに日本で麻婆茄子とか麻婆春雨とか派生の商品があるが
これにはそれぞれ「魚香茄子」(ユーシアンチエズ)と「螞蟻上樹」(マーイーシャンシュ)という別の正式名を持っているので、麻婆豆腐とは関係ない。
麻婆豆腐の起源
麻婆豆腐の歴史は意外にも浅く、約150年前に一人の女性から生まれたらしい。
その女性は顏にあばた(麻点)があったため、「陳麻婆」と呼ばれており、(麻婆とはあばたのおばあさんという意味)そんな彼女が四川省の省都「成都」郊外で飲食店をする中で編み出した豆腐料理なので「麻婆豆腐」と呼ばれている。
ちなみにこの女性が名ずけた最初の料理名は「羊肉料理」というものでかなりダイレクトなネーミングなのだが、彼女が亡くなってから誰ともなく「あばたのおばさんの豆腐料理」として「麻婆豆腐」と呼ばれるようになったようだ。
でも、自分の肉体的なコンプレックスが飯の名前になったらちょっと嫌じゃないか...?
「出っ歯おじさん炒飯」とか「天パおばさんカレー」とか。
日本への伝来
日本では、豆腐を使った中華として家庭でも手軽に作れるイメージの麻婆豆腐。
国内でポピュラーになったのは、「料理の鉄人」である陳建一氏の父・建民氏の功績があったといわれている。
陳 建民(ちん けんみん、男性、1919年6月27日 - 1990年5月12日)は、中国四川省自貢市富順県李橋鎮生まれの四川料理の料理人。日本における四川料理の父といわれた。
中国系日本人1世で、来日後に日本に帰化しており日本名は東 建民(あずま けんみん)といった。息子の陳建一、孫の陳建太郎も料理人である。
陳建民氏が、日本人の味覚で受け入れ易く調製し、
1970年代に店舗およびテレビの料理番組を通じて広められたのがきっかけ。
だから日本での麻婆豆腐の歴史は実はまだ半世紀にも満たない。
もっと昔からあるものだと思っててこれが一番個人的に驚いた。
その割に、どんだけ俺の心ワシ掴みにしてんのって。
僕と麻婆豆腐
人生の充実って何を指していると思います、皆さん。
様々な欲を満たすためのお金?趣味?
2ヵ月既にふらふらしている筆者は
文化との接点、その重なり合いの頻度、深さが大切なんじゃないかと感じている。
人間には衣食住がとても重要だ。
家を離れ、貧相なご飯を食べ、汚い服で生活し見えてきた、
この基礎基本の充実がいかに重要か。
そしてその上で、音楽や芸術、食事、宗教。
これらのことにどれだけ向き合えるか、どれだけ耳を傾けられるか。
世界は人の数だけあると思ってる。
自分が見ている世界は無数にある世界の1つでしかない。
だから自分の目の前で起こっていることに割と感情を揺さぶられるけど
無数の世界から見たら大したことでもない。てか、世界は流れてる。
そうなった時に限られた人生の時間をどう使っていくのがいいの。
まだ資本主義が「それ」を許さない厳しい眼差しを向けてくるし
それを眼差しとして感じてしまう自分もいるし。
この社会でいきていくということと
「それ」をどうやったら折衷させて生きていくことができるのか。
筆者はそれを「コーヒーと麻婆豆腐」を通して見つけたい。
終わり。
2019/04/05 @沖縄県 道の駅許田にて